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映画の方向性を考える・・・

昨日までバンクホリデーで3連休だった。ロンドン各地で催し物が行われていて、天候にも恵まれていたのでどこも大混雑。私は日曜日にルームメイトのティナから「今日グラフィティーの面白いイベントに行ってきた。あなたの好みだと思う。絶対行くべき!」と勧められたイベントに行った。

The Cans Festival website

http://www.thecansfestival.com/

テムズ川の向こう岸、Waterloo駅近くの、もう使われていない、通常は閉鎖されている100Mほどの古いトンネルすべてを使って、トンネル中にグラフィティーが描かれているのだ。バンクシーを始めとして、イギリス、アメリカ、ブラジルなど世界各国のアーティストが参加。グラフィティー(壁にスプレー缶で描く)を超えて、壊れた車から大きな木を生やし、そこにCCTV(ロンドンの街中にある監視カメラ)を鳥が木に止まるように配置したようなアート(巣を作って、そこにはベイビーCCTVが!)もあった。グラフィティーのコンセプト(社会批判、風刺、監視社会への抗議、メインストリームではなくアンダーグラウンドなテイスト)を受け継いで、グラフィティーから発展させたアートのコレクションと言えるだろう。

この3日間しか開催されていないためか、ティナが行った日曜日の日中は50分待ち。私が行った最終日の月曜日は、私は開場の30分前の9時半に行ったのだが、その時点で既に400人近くの人が並んでいた! すごい盛況ぶりだ。

撮影OKなので、私はビデオカメラを持参して、無数のグラフィティーを一つ一つ撮影していたら、たった100Mの長さにもかかわらず、2時間近くかかった。私が(こんなのあればな~)と思っていた、クイーンをいじった絵柄(たとえば、体はクイーンで、顔がドクロまたはサルとか)がペイントされていたので、(これは使える!←他人には何に???って感じかもしれないけど)と思って、特に念入りに撮影。

グラフィティーアートの半分近くは、戦争や多国籍企業に対する批判がベースになっているものだ。例えば、ブッシュとか、クイーン、ローマ法王、マクドナルドなどは、彼らの格好のいじり素材。真正面から批判するのではなくて、あくまでもアートとして。で、こういったものは皆に大人気なのだ。このアート展に、開場前から殺到していること、そして観客層の幅広さがそれを示している。観客層は、グラフィティーをやりそうな人、DJ、スケボー人みたいな人だけではなくて、赤ちゃん連れのファミリーから、60歳以上の人、サラリーマン風の人までいる。

微妙な気持ちになったのは、戦争を風刺したグラフィティー(小さな子供が犠牲になっている)の前で、楽しそうに自分の子供をその前にたたせて写真を撮る親なんかが沢山いることだ。うーーーん、この絵の意味するところを考えたとしたら、そんな気持ちにはならないはずなんだけど。

でも、色々考えてみて、人々はアートとしてなら、戦争をモチーフにしたものでも”COOL”ってなことで喜んで観にいき、受け入れるのだ。マークウォリンジャーの作品然り。でも、戦争を真正面から扱ってしまっては、人々は拒絶するのである。

昨日、友達にイギリス人の女性アクティビストが作ったドキュメンタリーのDVDを見せてもらった。「トニーブレアへの手紙」と題したそのビデオは2003~2005年のイラク現地取材を扱ったもので、ファルージャなどの紛争地域を実際に訪れ、民家や病院、学校が攻撃され、怪我を負った人々の様子を丹念に撮影した、素晴らしいドキュメンタリーである。

本格的なカメラクルーとサウンドトラックが使われていて、素人の作品ではなく、しっかりしたプロジェクトだと言うことは一目で分かる。でもこのJo Wildingという人、私は聞いたことがない。友達に「この映画が作られたとき、イギリスでは話題になったのか?」と聞いた。友達は、「どこのテレビ局も映画館もこの作品を取り上げたくなくて、結局Cuzon Cinemaという1つの映画館で1度上映しただけで、その後はお蔵入りされてしまった」とのこと!彼いわく、あまりにもイラクの真実、実態を伝えすぎてしまっていて、政府の政策に影響が出てしまうので、放送できないのだそうだ。この作品をとても気に入ったイギリスの著名なジャーナリスト(ベトナム戦争時から活躍)するジョン・ピルジャーが、TV局に掛け合ったが、どこからも無理と言われたのだそうだ。政府の息がかかったBBCならやらないと言うのは予想できるが、どこもダメなんて・・・。

A letter to the Prime Minister website

http://www.alettertotheprimeminister.co.uk/

戦争を批判したアートは大人気、でも戦争そのものを伝える作品はダメ。この社会の状況は、これからドキュメンタリーの編集に取り掛かる私の大きな課題となっている。Jo Wildingは、自分の目で見たイラクの真実について、妥協する気はなかったのだろう。もし、これが戦争で家族を失ったイラク人のただのインタビュー、数字の報道、破壊された建物の映像などだけで、電気が遮断された病院(電気が通ってない病院ってだけで、ありえないって感じだが)で泣き叫びながら半分死んだような子供の映像を映さなかったら、それはテレビのニュースと同じだ。

でも、真実をありのままに伝える映画を作っても、どこでも放送されないというのは、どうだろうか? (もしかしたら彼女はインディペンデントの映画祭などでは上映したかもしれない。その辺は不明)。私はそれにはちょっと賛成しかねる、というのが本意だ。作っても、誰にも見てもらえないような作品を私は作る気はない。

だからといって、”妥協”や、”事実を薄める”というのも、不本意だ。

うーーーん。でも、グラフィティーアートのように100%アートにするのも、結局見た人はその真意を理解しないで終わってしまうように思う。それに私はアーティストではない(アートセンスがない)ので、じゃあアートに出来るのかというとそれも難しい。

一番現実的な方向性は、いきなり100%のすごい事実を突きつけて観客をびっくりさせるのではなく、自分のメッセージを混ぜ込みながらも、少し視点をずらしたものにして、ユーモアも入れて、でも見終わった人はどこか(今のままでよいのかしら?)風なものを感じる(第一段階)、これを目指したものを作るのがいいんじゃないか? と思う。

戦争をテーマとした映画では、イギリスをはじめ各国で異例の人気となっているPersepolis(日本でも上映したそうですね)。これは、イラン革命時にイランで生まれ育った女性のアニメーションである。カンヌ映画祭で審査員賞を受賞し、オスカーにもノミネートされた作品。これが、イギリス全土の映画館で現在上映中だ。私がBird's Eye View Film Festivalで見たときは、チケットは完売という盛況ぶり。

でも、この映画を観た人は分かるかもしれないが、この映画の半分は彼女の破天荒でユーモラスな人生である。主にダメ男に振り回されるというもの。イラン革命とは関係があるようなないような。でも、白黒アニメというものめずらしさ(現在はディズニーとかの凝ったアニメばっかりだからかえって新鮮)と、この彼女のハチャメチャ振りこそが、この映画が受けた理由だと言えるだろう。

そして、マイケルムーアの「華氏9・11」が受けたのは、それは彼の作品がエンターテイメントしているからである。9・11や、反戦などを扱ったドキュメンタリーは沢山作られていても、それらを見る人はそのテーマに興味のある少数の人ばかり。でも、マイケルムーアの作品は、皆が見る。戦争ドキュメンタリーとしてではなく、エンターテイメントフィルムとして。私は別に彼の作品がすごいと言いたいのではない。でも、唯一世界的に知名度のあるドキュメンタリー作家として彼は良いサンプルなのだ。生粋のドキュメンタリー好きからは、きっと彼は好まれないかもしれないけれど、この世の中で起きている現象を観察するにはもってこいだ。

では、私は自分の作品をコメディーでエンターテイメントにするのか?? それもちょっと違うような気がする。で、あれこれ、事あるごとにいろんな人に自分のこのもやもやした気持ちを話していて、ちょっとずつクリアになってきた。それは私がまずパーラメントスクエアに興味を持った理由。「7年間国会の前で生活する・・・これはイギリスの文化や精神と関係があるのか? 一体どんな人がいて、どんなコミュニティーが形成されているのか」というもの。”ブライアンの生活(四季)を通してみたロンドン”って感じ?? で、自分が好んで撮影するものや、テイストの傾向を考えると、なんか、力の抜けた感じという雰囲気がある。一般の人は「ブライアン=不機嫌でいつもマイクで怒鳴って警察と衝突している」という印象を持っている人もいるのだが、彼は独特のユーモアと、人生観、そして彼なりの和みのときがある。そんなのをこれまで映してきたので、これを軸に、そしてオックスフォードへの100キロハイクと大学でのスピーチをハイライトに構成する・・・って感じかなあ・・・。まだ骨格と言えるほど固まってもいないのだけど、現状はそんな状態。

あとは、作品の中に”私”を投影させるのか? というのも、なかなか難しい判断だ。”私”の個人的なエピソードや、成長記録(赤ちゃんでもないのに!)風の移り変わりを入れると、その作品は見る人にとってぐっと親近感が増すような気がする。日本からは遠いイギリスという国で、日本人である私がどんな事柄に出くわして、どんな経験をしていくのか?というようなこと・・・。でも、”私”を入れることの危険性は、無関係な日常のエピソードだと(???)と思われてしまうし、”私”の個人的な主観が沢山入って、見る人に一方的な感想を持つよう促すような感じになってしまうのではないか、とも思う。

どこまで自分を入れるのかまだ決めてないのだけど、自分なりのコメンタリー(ナレーション)は思いっきりくだけたものにしたら、面白いんじゃないかと思っている。例えば、オックスフォードウォークだったら、フィッシュアンドチップスの店にたどり着くまで歩くブライアンたちを、「彼らはフィッシュアンドチップスの店が見つかるまで歩くのだ。美味しそうな店の前を素通りして。あ~あ、なんてイギリス人!」みたいにボイスオーバーしたら、よさそう!コメンタリーは皮肉なテイストで統一したい。ブライアンたちを愛しつつも、でも何でもかんでも私は良いって思っているわけじゃない、かなりあなたたちズレてますよ風に。 問題は、私は自分の声が嫌いってこと・・・! まあ、やるしかない。

こういうこと考え出すと、きりがないんだけど、でも大事だよなあ・・・。

追伸

自分のビデオに初めてサウンドトラックを入れてみた。パーラメントスクエアのポールを撮影して、音楽はネット上で著作権フリーとされている(著作権が切れた50年以上前のクラシック曲を個人が演奏しネット上で配信している)ものを使用させてもらった。

Paul'n'Daisy (約1分弱)

http://jp.youtube.com/watch?v=LRzbgP8Q9xA

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