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政見放送じゃなくて

予定では11月からドキュメンタリーの編集作業をすることになっていたが、予定より10日ほど早く、一昨日から編集作業をしている。

一昨日は、4時間かけ、なんと最初のオープニング5分間の荒編集を完了! オープニングに関しては、イメージがかなり具体的に、秒単位で自分の中で形成されていたので、すんなり行くと思っていたが、それでもなかなか苦戦。というのも、例えば、パーラメントの絵ひとつとっても、それが晴れなのか、曇りなのか、夕方なのか、そして季節はいつなのか、で、たとえアングル・音声共に完璧に取れていたとしても、前後のクリップの関係で、本当にわずかな違いで、使えなかったりするからだ。

特に雨。雨というのは、そのシーンにニュアンスを与えると思う。だからこそ、そのニュアンスを使ってちょっとした雰囲気を演出することができるわけだが、逆に普通に説明して通り過ぎたいところに、変な重みを与えてしまうこともあるので、雨のシーンの使い方もなかなか厄介だ。

でも、なんとかオープニングが出来たので、この調子で1日につき1チャプターか2チャプターぐらいできるかなと思っていたら、昨日は8時間かけて1分弱のクリップしか作成することができなかった。そして、その1分のクリップさえも、夜になって全部やり直しすることを決定。結局その日丸1日費やしたのは、まるで水の泡となったわけだ。

なぜこんなにも時間がかかったかというと、チャプターの2はパーラメントスクエアのこれまでの経緯を説明する章なのだ。ブライアンが抗議活動を開始して、デモ活動を取り締まるSOCPA法が成立して、ブライアンのディスプレイが押収されて、マークウォリンジャーがそれを再現してテート美術館で展示・・・うんぬんのブライアンのこれまでの7年以上の歴史を、無謀にも5分間で振り返ろう、という章なのである。

無謀ではあるが、彼の歴史の要約というのは、ブライアン自身のウェブサイト、ウィキペディアをはじめ、結構色んなところで紹介されている。なので、それらから拝借することができる・・・・というと、そう簡単にはいかないのである。例えば、ブライアンのウェブサイト。これは、いわば彼の主張のオンパレードである。完全にブライアン側の視点に立った見方で、全ての事柄が述べられている。「78人の警察官が、違法に、暴力的に、ブライアンのディスプレイを奪った」、「ブライアンたちは、海外で人殺しをしているイギリス政府に対し抗議活動をしている」・・・などなど、間違っているとは言わないが、一般の人の感覚からすると、かなりかけ離れた表現になってしまっているのである。ウィキペディアは結構事実関係がいい加減だったりするので、概要を理解するにはいいが、それをそのまま使うのはちょっと危険である。

私はとりあえず、「2001年6月2日、ブライアン・ホウは奥さんと7人の子供を残し、パーラメント・スクエアにやってきた。それ以来、一度も家に帰らず、一日も休まず、ここでテント生活をしながら、抗議活動を続けている」と自分のナレーション原稿を書いてみた。これは、事実であり、”7年間一度も家に帰らず抗議活動を続ける”、これこそがブライアンの抗議活動のユニークさの由縁である。

しかし一緒に内容を検討している、ブライアンのサポーターのポールが、「ブライアンが批判されることのひとつに、”家族の放棄”があるんだよ。だから、”奥さんと7人の子供を残し”と、”一度も家に帰らず”は、自分だったら入れない」と言った。

うーーーん。確かに、家族を捨ててこのような活動をやっているということに対し、ブライアンを非難する人もいる。でも、それも彼の一部でしょう? 私はブライアンのプロパガンダを伝えるために映画を作っているわけではない。そして、「こんなえらい・すごい人がいるんだよ」と言いたいわけでもない。

ブライアンという人物像を分析するときに、彼にとって不利となる一切の情報を編集の段階で排除することは可能だが、私はそれをやりたくない。ブライアンを”聖人”と仕立て上げるのではなく、”人間”ブライアンを見せたいのだ。彼の望む主張ばっかりの映画では、政見放送と同じで、その人の主張は伝わっても、その人の個性は伝わらないのだから。

だから、彼がどなっているところも入れるし、ふつーの人にはちょっと同意しかねるような、行き過ぎの発言もあえて入れる。そうすることで、ブライアンがどんな人なのかをみせ、何か考えてもらえたら、それが私の望みなのである。中には「彼の言ってることは正しいと思うけど、でも個人的な人間関係は持ちたくないな」と、映画を見終わった後で思う人もいるだろう。それでいいのだ。私だって、ブライアンのことを100%全て正しいと思っているわけではないのだから。

それでも、戦争で人が死んでいくという事実、政府や警察はうるさい人に対しどんなことをするのか、イギリスだけでなくいろんな国で表現の自由が脅かされてきているという現状、何かのために立ち上がり人生を捧げているという人の姿etc・・・のうちの何かが見る人に伝われば、それでいい。

しかし、誤解を招くような表現や編集の仕方は避けるべきだ。彼がフェアーに理解されるよう、怒鳴っているシーンや警察と衝突する場面だけでなく、十分に彼の主張もいれ、例えば子供やお年寄りに、本当に自分の家族のように接する彼の姿勢、いろんな人から送られたディスプレイを大切にする姿勢など、ニュースでは切り落とされてしまうこれらのブライアンの日常生活こそ、ドキュメンタリーでは見せる必要がある。「家族を捨てた」という事実と、彼の中の「地球的な家族観」のごときものの両方を、私は入れたいと思う。

あと、もうひとつポールにいわれたのは、「ブライアンがイギリスやアメリカ政府に反対しているということで、以前ブライアンは”サダム・フセインを支持している”と誤解されたことがある」ということ。ブライアンの主張を聞けば分かることだが、彼は国、人種、職業などによって差別をしない。ただの反体制でもない。彼が主張するのは”ヒューマニティ”だ。だから、イラクの人だから良い人、ではまったくなくて、戦争でお金をもうけたり(これはイラクの人でも自国民が殺される中で、お金儲けをしている人はいる)、自分の利益だけを考える政治家などは、どこの国の人であれ彼の批判の対象である。その辺も、ただの”反アメリカ”、”中近東支持”などというように理解されてしまわないような注意が必要だ。

事実を伝えること、客観的な立場に立って編集すること、誤解を受けないようにすること。。。これらをクリアしてもまだ不十分だ。被写体となっているブライアンたちの”想い”というものをしっかりと受け止めた上で、私は構成を考えていく必要がある。

ブライアンが嫌いな言葉・・・例えば”反戦活動家”(”反”という言葉がネガティブな感じがして嫌なのだそうだ。彼自身は”Pro-peace”(直訳すると「平和賛成派」)と自分を呼んでいるが、しかし、このpro-peaceという呼称はあまり一般的でなく、聞いた人が理解できないし、ちょっとあいまいでもあるので、それをそのまま使うのは難しい。Peace camp・・・キャンプという言葉は、レクリエーションだけでなく、例えば軍隊のベースキャンプなど、野営するものに対して一般的に使われる単語ではあるが、ブライアンは「自分たちはここで遊んでいるわけじゃないんだ!」といって怒鳴る。などなど、あれこれ細かいことばかりだが、私が彼の思いをしっかり理解していないと、紹介するときのほんの少しの言い回しの違いにその不理解が現れてしまうので、気をつけなければならない。

問題の冒頭の紹介、家族の放棄についてどうするかについては、悩んだ結果、「Brian Hawは2001年6月2日にパーラメントスクエアで抗議活動を開始した。それ以来今日までパーラメントスクエアにとどまり、年中無休のデモを続けている」とした。(とりあえず英語でナレーション原稿を書いているため日本語が変)。「とどまって抗議活動を続けている」とすることで、観客は推し量って「一度も家に帰っていない」という察しがつく。そしてその後の彼のインタビューの中で、彼に奥さんがいること、子供がいることの事実が出てくる。「本当はこんなところにいたくない。家族の元に返りたいよ。でも、戦争で親を殺されてしまった子供たちはどうなるの? 会いたくても会えないんだよ」・・・とブライアンは話す、このような構成にしてある。ま、これで大丈夫かなと思う。

インタビュー映像の編集は、本人の言葉によるものだから、多少問題のあるような発言が含まれていたとしても、それもその人の個性を表すものの一環としてあえて含めたりする。しかしナレーションは、私自身から発せられる言葉だ。かなり慎重に、神経質に一語一語を選んでいかなければならない。特にドキュメンタリー映画のような、社会の批判をするものは、なおさらだ。よくドキュメンタリー映画の最後のクレジットを観ていて、法律顧問や弁護士とかの名前も出てくるんだけど、そういう法的な立場からも内容を検討していくことが重要だ。そして、”私自身”がどのようにブライアンを、ブライアンたちの活動を理解しているのか、ということがものすごく問われているように思う。それはこれまでも自分は、自分の立場を明らかにしているつもりだったけれど、この歴史のチャプターをつくる上で、もっともっと踏み込んだ形で自分の考えを明らかにしなければならないのだと言うことを痛感した。

・・・と、こんな調子で歴史パートのナレーションと映像を考えつつ何度も行ったりきたりをしていたら、あっという間に1日が過ぎてしまったわけである。

今日は一日かけて歴史パートのナレーション原稿を作成した。これから、仕事を終えて帰宅するポールにも見てもらい、これでよいかどうかの再度検討をする。

映画の完成予定は11月末だから、あと1ヶ月ちょっと。頑張らなくちゃ。翻訳を手伝ってくれる頼もしい人たちがいるので(なんと、日本、イギリス、NYにいます!なんかかっこいい♪)、その締め切りに間に合わせるためにも、10月、11月はお休みナシ。12月に入ったら、本編の音声や映像の明るさの調整をして、今度はDVD特典のための映像編集を始める。(DVD特典に関しては、本編じゃないので私がなんちゃって翻訳をするつもりだ)

まだまだ完成までは程遠い・・・

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ありえない組み合わせが面白い

最近うちの親が携帯を持った。これまではパソコンのメールでやり取りをしていたが、最近は親からは携帯メールで連絡が来る。でも、もうイギリスの生活にも慣れているし、日本から送って欲しいものも今のところないし、私としては「便りがないのは良い知らせ」状態で、ほとんど連絡をしていない。親も、もともと頻繁に連絡をしてくるほうではない。

ところが、最近になってうちの姉から「お母さんが携帯のメール使いたいみたいだから、もっとメール送ってあげてくれる?」という連絡が来た。しかも絵文字を使いたいんだって。・・・っていうか、「メールを使いたいからメールを送れ」とは、本来のメールの目的からずいぶんずれてるんじゃないか???

で、しょうがないから、適当にメールを送ったところ、なんと英語でメールが! 下記に本文ままで掲載する。

タイトル
「mail」

本文
「Thank you.I got up at5: 30.Toway is fine. We will goto mandolin concert.What a big chocolate is it! Before open mitsu's present.Good by.」

そしてそのすぐ後に再びメール

タイトル
「mistake」

本文
「Toway good.」

だって・・・・。前のメールは「ありがとう。私は5時におきました。Toway(←Todayの間違いか)は良いです(←何が良いのかは不明)。私たちはマンダリンのコンサートに行きます。なんて大きいチョコレートでしょう!満の(←父の名前)を開ける前。さようなら」

私は父親にチョコレートを送った覚えはないし、一体何の話だろうか? 次のメールのタイトルが「間違い」とあったので、誰かに送り間違えたのかと思ったら、そのメールの本文は「Toway good.」で、まだTowayと間違えたままで、一体何を訂正したくて送ったのかわからない。(fineをgoodにしたかったのか???)

念のため「あのメールの内容は何? 私はチョコレートを送った覚えはないけど?」と聞いてみたら、イギリスから父親宛のプレゼントとしてだいぶ前に送った本(ロンドンの写真の分厚い本)を、開ける前に親たちは「これはきっとチョコレートだろう」と話していた、ということで、「なんて大きなチョコレートでしょう!」というメールの内容は、そのことをジョークにしたものなんだって!省略のし過ぎでまったく意味が分からない。

姉も母親からの携帯メールには困っているらしく、「お母さんはauにしてから絵文字がお気に入りでたくさん使いたいみたい。でも使い方が変わってて、蟻(アリ)の絵文字とかもらってビックリしたよ!どういう意味か聞いたら、蟻も食べたいというほど『おいしかった』という意味らしい。う~~~ん、解読が難しい。」と言っていた。アリの絵文字!!! 一般人には到底できない発想だろう。

私が自分の映画の中でブライアン自身が撮影した映像も使う予定なんだけど、彼の発想も一般人とはかなりかけ離れていて、面白いのだ。ズームについて、「ズーム、ズーム、ズームで被写体に近づくでしょう? で、その人の金歯をがっちりと押さえるんだ!」なんて言ってるし! 言い方は悪いが、こういう電子機器が似合わない人たちが、どんどん映像なり、文章なり作って発信していくのを、私はすごく見たいのだ。受けを狙って作られたり、プロの真似事をして作られたものじゃなくて、その人から自然体で発せられるもの。それがこれまでに見たことのない面白さを生み出すのだと思う。

前に行った携帯電話のビデオカメラ機能による映画製作で、プロジェクトとして、車椅子に乗った人たちの表現活動というのをやっている大学院の人がいた。車いすとドキュメンタリー撮影はこれまでかけ離れた存在だったが、ビデオカメラが小型化したことで、今では本当に誰でも撮れるので、車椅子に乗った人が自分の日常を撮影するのだ。

一部の映像を観たが、視点が低く、彼らの日常生活を垣間見れ、さらに車いすのまま転倒するのもカメラにそのまま収められていて、かなり新鮮。

日本でも放送されているかもしれないけど、BBCで大型の象にカメラを持たせてアフリカの草原の生態系を撮影している番組がある。そう、カメラマンは象! 「ライオンは象を気にしない」という習性を活かし、象の鼻にちょうちんみたいなカメラをくくりつけて、ライオンのものすごく近くで撮影させるのだ! これはかなり衝撃映像です。っていうか、ちゃんと作品として見れるように象が撮ったり、人間が興味を持ちそうなアングルにカメラを持っていく象はすごい・・・! もし見られるチャンスがあったらぜひ。

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